アルゼンチンへ 食文化と移住生活

アルゼンチンに渡った父子の日々の刺激と食習慣のこと

小学校低学年からの日本のサッカー事情について

 

・日本に戻ってからのサッカー生活

 

一度目のアルゼンチン単身留学から、奇跡的に帰還して改めて日本のサッカーと向き合う生活に戻ったが、多忙なことは相変わらずで緊急事態宣言の自粛の煽りはあったものの、通常のサイクルに戻るには時間がかからなかった。

新5年生になった時期だったのだが、ここからは公式戦を控えておりチーム内競争も熾烈を極めている時期でもある。日本の小学生サッカーは基本8人制で戦うのだが、選手層が厚ければ、当然競争があることも現実として当然のこと。

 

ameblo.jp

 

もろもろの結果等は、あちらのブログで限定公開しているので割愛する。良くも悪くも刺激的な期間であったことは今でもいい思い出になっている。1学年上の代に召集されたり、とんでもなく強いチームや大人かと見間違えるほどの大型な選手も中には存在する。普段ランドセルを背負ってる170センチの子供が想像つかない。

 

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・小学生サッカーが「お受験化」している

 

小学校時代は埼玉県さいたま市でサッカーをしていた。サッカーが盛んな町であり、強豪がひしめくエリアでもある。選手たちの意識も高く、ただのサッカーではない意識の高さは親の影響によるところも大きい気がする。

我が家は4歳上の兄も同じ境遇だったので、おおよその予想はついていたが6年生に上がった途端に、サッカーの進路の問題で親同志の情報交換が盛んになってくるのである。これが「お受験化」の現実。

中学世代のスカウトも動き出し、目立つ選手は5月に入るころには次のチームが決まり出してくる。そうすると、学校の受験と一緒で進路の良し悪しを親が比較する現象が起こってしまうのである。

これが、父兄のストレスをあらぬ方向に導いてしまい良い選手がそうでなくなってしまう姿も見ていた。親が進路に焦るあまり、他の子と比較をすることで子供が自身を失っていくのは、見ていて可哀そうでしかなかった。古い言葉だが「青田買い」が良くも悪くも選手を刺激しすぎているという現実が、サッカーの盛んな故のリスクになってしまっていることを感じていた。

 

・中には10数チームのセレクションを受ける子もいる

 

中学世代のチームを決めるのに、セレクションが実施される。人気チームになると数百名の中からの選考会になる。しかも有料で参加するというのに、応募が殺到して締め切るチームもあると聞いた。すぐに決まればいいが、結果保留で数か月待たされるケースもあり、入団するためにサッカーをしているような感覚が当たり前になっている。

そんな危機感をサッカーの素人ながらにも感じていたものである。如何にも、そこに入れなければサッカーはできない、そこサッカーが通じるかどうかではなく、入団に最大の目標のベクトルがあることは、サッカー人生の弊害にしかならない気がする。

 

・中学校では11人揃わず、サッカーチームにならない

 

中学校にサッカー部があるのに、11人集まらないなんて話も聞いていた。小学生からクラブチームに所属しているうちに、中学校でのサッカーに集まらなくなっているのである。埼玉県に限った話かもしれないが、住んでいたさいたま市の中心は小学校も数クラスあり、少子化と言われている中でも子供の人数は多いエリアである。

でもそんな状況にあり、サッカーがスポーツとして違うものとして認識されていることの弊害もあるということ。11人集めるために近所の中学の混成チームで公式戦を戦うなんてこともあると聞いた。

 

・三年後には同じことが起こる

 

中学入学でサッカーがお受験化している。これが3年後の高校進学の時に同じことが起こる。それは「高校受験」である。本業が学業である以上は、日本の高校受験は避けて通れず、対応策として学習塾に通う子がほとんどであるのが現状。

サッカーと学業が両立できずサッカーを挫折する年齢が多いとも聞く。子供のころに好きで始めたサッカーが、勉強の弊害になってしまうくらいなら、中学校のサッカー部でも息長くプレーできたと考えるのも一つの策であろう。

 

・サッカーが好きなだけなのに

 

サッカーが好き、そんな気持ちで純粋にやっていたサッカーが弊害になっていく。サッカーを続けることもできなくなる。「青田買い」も問題なら、遅咲きの選手が発掘できない日本の事情にも問題がある気がしてならない。