小学6年生の1月にアルゼンチンに来たということは、二学期末で転校という扱いになるということ。三学期を残していたので、アルゼンチンの小学校で卒業をすることになったというお話。
1.日本人だけの学校
アルゼンチンの都市部にある日本人だけの小学校。それは、先生と生徒も日本人で日本の教育が受けられるという場所。そこはアルゼンチンの中にある日本といった風情でもあり、日本人の方々も多く住まわれている場所。
2.とてもフレンドリーな場所
6年生の3学期だけという変則な転入にも温かく対応いただいた。決して疎外感を感じさせることもなく、いつも寄り添っていただいて感謝している。
卒業式に向けての準備も真っ盛りの中での対応だったので、先生方も大変なご苦労だったと思うし、何より同級生たちも気遣ってくれていたことが手に取るようにわかった。
3.そして卒業式を迎える
日本で心残りであった卒業式。感染拡大の影響でどんな形式だったはわからないが、リモートではなかったと聞いている。一生に一回の卒業式ができるとは正直思っていなかったので感謝してもし切れない。
むしろ、思い出に残る卒業式ができたことに出会いの素晴らしさを体験できる機会にもなった。三人しかいない同級生にも感謝したい。
4.先生からの手紙には
「この人の話は聞かなくていいと決めつける」とのご指摘、すごく的を射ていて短い期間なのに見抜いていることに驚いた。
「無駄な話の中にその人の生き様や、今後の人生のヒントがある」
そんな事を思ったことのない父の責任かもしれない。人との出会いや会話の中で無駄なものがあったとしても、絶対に決めつけてはいけない。そして考え方の違う人たちにこそ自分に足りないものがあると教えられた気がする。
5.さすがだなぁと思った
子供を子供であると決めつけない、これって外国で聞くとすごく説得力のある言葉だなと思う。海外からの人を「外国人」というフィルターで見てしまうことが凄く恥ずべきことなんだと「外国人」になって初めて感じている。
差別なんて思ってないのに、異国の人という括りがすでに差をつけていることに今まで気づかなった愚かさを痛感している。これがわかるまでにどうしてここまで時間がかかったのかと後悔もある。
6.来てみたからわかること
アルゼンチンに来ていなかったら一生気づくことのなかったこと。こちらに来て約三か月経過するが、そんなことの続く毎日を過ごしている。文化の違いにも驚くことが多いが、大らかさや家族の絆とかいう部分での結束力の強さを感じている。
これがただの卒業式ではなく、彼にとっての大きな分岐点だったことと思えるアルゼンチンの生活にしたいと誓った出来事だった。
7.noteもやってます