アルゼンチンへ 食文化と移住生活

アルゼンチンに渡った父子の日々の刺激と食習慣のこと

そして『緊急事態宣言』の中、アルゼンチンへ行く

 

 

  • その日は最初の緊急事態宣言

 

2020年3月2日、そう安倍総理(当時)から緊急事態宣言が発令された日。奇しくもその日がママの誕生日ってのも単なる偶然とも思えない。

夜23時のフライトだったし、学校も急遽休みになりランチで細やかなお祝いができた。でも10歳の子供にとっては大冒険、朝から落ち着かない雰囲気だった。

一か月ママと離れるのも初めてなら、日本語が通じない生活も未知数。わからないことばかりで不安かどうかも整理できないまま当日を迎えていた。

でも、なぜか不思議と「行きたくない」とは一度も口にしなかった。サッカーが目的であることが明確だったし、学校休んでも行けるんだからという損得勘定もあったのかもれないと今となっては思う。

 

  • そしてフライトの時間

 

羽田空港出発の深夜のフライトなので、電車で向かうことにした。地元の駅でママと離れて後は飛行機に身を任せるしかなかった。父は半分旅行気分だったが、10歳の彼は一人で生活して帰ってくるっていう人生最大のミッションが待っている。

この頃は成長期にさしかかり、全て満たされた生活を当たり前と思い出した頃だったので躾としては良いタイミングだったと思う。

返事をしない、ありがとうを言うことをおろそかにする。そんな年令には荒療治かもしれないが、効果があることを確信していた。

 

  • そして、アルゼンチンに降り立った二人

 

海外経験も乏しいまま親子でアルゼンチンに降り立った。「コロナウィルス」が世界的に感染し始めた頃だったので、話題は海を越えても同じだった。

ただし、この頃のアルゼンチンは夏の終わり。新学期が始まる時期でもあり、アジア圏の騒ぎである位の認識だったと記憶する。

ただし、イタリアでは大流行して感染回避で人が動くことで感染爆発を起こしてしまっていたのもこの時期だった気がする。

 

  • 10歳のサッカー留学は順調だった

 

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父の付き添う時間は48時間だけ。一足先に日本に戻り、残りは10歳が一人でやりくりするスケジュール。日本語の伝わらない家庭でのホームステイ、人生観が変わってくれることを親が期待していたのも懐かしい話。

ところが、空港に送って帰路に就く時の心境に変化が起こる。10歳の子供と離れる父の心境に大きな変化があった。ここに残して日本に帰ることが、実はすごく大変なことだと思えてきたのである。

子供は不安であってもそれを口にしない。目を潤ませるだけで耐える表情が急に親を不安にさせたようだった。空港での見送りの別れ際、10歳の物語る目線と向き合うこともできなかった。なぜか「ごめん」って言い聞かせる不思議な心境。

とはいえ、なればなったで順応性は子供が一枚上手だった。サッカー漬けのスケジュールのおかげで寂しさを紛らわすことができて、日本に電話はあるものの数日で泣かなくなったことに成長を感じていた。

 

  • そして、ロックダウンが始まった

 

急に、仲介してくれたアルゼンチン人コーチから連絡が入った。大統領の決定でアルゼンチンがロックダウンが決定したとの一報。国民は外出禁止となり、国境を封鎖されることが決定したとのこと。

ロックダウンという言葉は当時の東京都知事が会見で言っていたので認識があった。でも、現実になるとは到底思ってもいなかった。当然、復路のフライトはなくなり今のところ帰国の手段は封鎖されてしまったという現実だけがそこにあった。

10歳の日本人がロックダウンを知る由もなく、ホームステイ先の外部環境がどうなっているのかを彼は知らない。というよりも、知らないようにしてくれていたんだと思う。不安になる要素を排除し、いつも通りに生活をしていてくれたんだと思う。

 

  • ロックダウンで日本に帰国することができるのか

 

「復路の航空便の予定がなくなった」

そんな連絡が届いたのは数日後。国境を封鎖したことで、航空便がすべてストップしてしまった。仮に飛んだとしても直行便はない。中継点で足止めなんてことも考えられなくもない。

今はじっと経過を待つしかなかった。しばらく日本に帰れない覚悟もどこかでしていた。それがいつまでなのかもわからない、そんな不安の中で連絡を待っていた。

学校はまだ休みなので問題はないが、再開したらどうなるのかという不安とか、むしろ長期間で帰国ができないという場合の想定はまるでできなかった。

日本とアルゼンチンという、とんでもない距離感は心配を超えて進展を待つという以外はなにもできない日々が続いた。ほんの数日だったと思うが、すごく長い日々だったような気がする。